新潟県中越地震支援活動(11月24日~26日)
新潟県中越地震第二次ボランティア活動報告
- はじめに
- 静岡県第一宗務所青年会では11月15~17日に派遣された第一次ボランティア(3名)に引き続き、24~26日に鬼頭会長をはじめ全5名で構成される第二次ボランティアを派遣した。24日は小千谷中学校にて炊き出しの手伝い、25日は小千谷市災害ボランティアセンターに登録後山本山臨時収集場にて生ゴミの積み込み,ペットボトルの分別・洗浄作業,小千谷市総合体育館の視察、26日は川口町ボランティアセンターの視察を行った。
- ルートと道路状況について
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- 往路
- 震災により関越自動車道の道路状況が悪いという第一次ボランティアの報告に基づき、同様のルートで現地に向かった。被災地付近では車線規制され復旧工事が随所で行われていたが、道路状況は予想していたほど悪くはなかった。
24日午前9時30分保寿寺発―西富士道路―139号線―358号線―中央自動車道甲府南IC―岡谷JCT―長野自動車道―更植JCT―上信越自動車道―上越JCT―北陸自動車道―長岡JCT―関越自動車道―小千谷IC―午後4時小千谷中学校着(所要時間:約6時間)
- 復路
- 道路状況が好転していたため、往路とルートを変更した。
26日午前10時30分小千谷IC発―関越自動車道―練馬IC―環状八号線―東京IC―東名高速道路―富士IC―午後4時保寿寺着(所要時間:約5時間)
- 道路状況
- 往路・復路共に被災地付近では復旧工事のため車線規制が多く見られたが高速道路に関しては運転に支障をきたす程の悪状況並びに渋滞はなかった。しかし現地一般道に関しては車線規制並びに通行止めにより渋滞箇所が多く見られた。
- 活動内容
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- 11月24日(水)
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9:30 |
保寿寺発 |
16:00 |
小千谷中学校着。新潟第4宗務所ボランティア7名・栃木県安藤師・全曹青宮下師・竹田師と共に炊き出し準備。 |
17:00 |
雨天の中で配膳開始(ラーメン・雑煮)主な作業内容はラーメンの盛りつけであった。 |
19:00 |
約300食を配膳し、夕食後に片付けを開始。尚、曹洞宗の炊き出しボランティアはこの日で終了した。 |
20:00 |
曹洞宗ボランティアの宿泊地である長岡市“放光”に移動 |
20:50 |
放光近くの大型銭湯にて入浴 |
22:00 |
放光に戻り現在のボランティアに関する説明を受ける。 |
23:30 |
就寝 |
- 11月25日(木)
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06:30 |
余震(震度2~3)を感じる。 |
8:00 |
放光出発 |
9:00 |
小千谷市総合福祉センターサンラックおぢやのボランティアセンターにて活動登録し、内容を山本山のゴミ分別作業に決定する。 |
10:00 |
山本山市民の家臨時収集場に到着後、作業内容の説明を受けた。作業道具(ゴム手袋・雨具・マスク)を借り、すぐに作業を開 始した。作業内容はペットボトルの洗浄と再利用の為のラベル外し・ゴミ収集車が来た時に生ゴミの積み込む、という2点の作業であった。昼食を含め途中に数 回休憩した。 |
16:00 |
ボランティアセンターに戻り活動報告書を提出 |
16:30 |
小千谷市総合体育館を視察 |
17:00 |
放光に戻り昨日同様に大型銭湯にて入浴 |
- 11月26日
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6:30 |
昨日とほぼ同時刻に同規模の余震を感じる。 |
8:30 |
放光出発 |
9:00 |
川口町にてボランティアセンターを視察 |
10:30 |
高橋師と別れ、小千谷ICより帰路に向かう。 |
16:00 |
保寿寺着 |
- ボランティア活動について
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- ボランティア活動をするにはまず各自治体(小千谷市,川口町など)のボランティアセンターで活動登録する。IDカード・県名シール(上着に貼る)を受け取り、保険に加入(自動登録)する。
- 登録後に活動内容を決める。活動内容は我々の行ったゴミの分別以外にも立ち入り禁止区域で行う土砂の汲み出し作業・荷物の運搬・清掃・家屋の片付け・ボランティアセンターでの事務など多岐にわたり、個人の能力・体力により選ぶことができる。
- 今回の活動中は昼食を支給してもらったが、朝食・昼食共に各自調達するのがボランティアの常識のようである。また現地ではゴミ処理が機能していないので各自ゴミを持参すべきである。
- ボランティアセンターでボランティア活動終了後に「ボランティア活動証明書」を受け取る。それを市役所3階総務課に提出し、必要書類を記入すると「災害派遣従事車両証明書」をもらえる。これを出口ICで提出すると帰路の高速代は無料になる。(往路の高速代についても申請できる。)これは今後の災害時にも適用されるようである。
- 今回の曹洞宗ボランティアは長岡市の仏具店“放光”を宿泊地として利用できたが、一般ボランティアの多くはテント・寝袋を持参しボランティア活動している。以上のことを考えると今後このような災害時に宿泊地を確保できるかどうかはわからないのでそれなりの装備を持ってボランティア活動に望む必要がある。
- まとめ
- 今回我々は災害後約1ヶ月という時期にボランティア活動を行ったが、すでに人命に関わるような活動は終了し、街の整備もある程度進行していた。もちろんまだ多数のボランティア要請があったが、ボランティア初心者の我々が活動を行う時期としては適当であったと考えられた。今後もこのようなボランティア活動を行う場合には、よく情報を集めてから時期を決めるべきである。我々僧侶が寺院復興のボランティアをするか一般のボランティアをするかの両方の意見があるようだが、それも時期によって判断すべきである。ボランティアの活動内容が人命救助ではなく街の復興に移行した時期であれば、当然各寺院も自治体にボランティアの要請をするはずであるから、一般の人が手伝うよりも我々僧侶がやる方が効率がいいのではないかと個人的には感じた。
また災害地のボランティア活動といっても必ずしも危険を伴うものばかりではないので、「自分達にできるレベルの活動をする」という考えで、まとまった人数が参加して数日間行えばもう少し成果がある活動が出来たのではないかと考えられた。またそれとは矛盾するようであるが、ボランティア活動は1人が日帰りでも出来るくらい簡単なことであるということも今回の活動に参加して体験できた。
以下は今回のボランティアに参加した、第1曹青鬼頭会長からの寄稿です。
11月24日、10時富士から西富士道路、甲府南I..Cより中央道、長野道から北陸道を経て、関越小千谷I..C15時30分小千谷中学校着。 小雨の中、地元宗務所メンバー5、6人と全曹青2人(ボランティア委員)、栃木の安藤氏、第1曹青メンバー5人で炊き出し。仕込みは出来ていたので配膳の手伝い。17時30分からラーメンと雑煮の配給を手伝う。200か250の仕込みと聞いていたが、実質雨の影響もあってかニーズは半分ぐらい?19時には引けたので片づけをして放光さんへ。銭湯に行って22時30分頃再び放光さんに帰る。
11月25日曇り、朝方7時頃余震を体感。震度は2か3ぐらいと思う。変な話しだが、この余震で新潟を実感する。
8時30分、小千谷ボラセン着。すでに大勢のボランティアでごった返している。受付を済ませ2.3件マッチングをしてもらうが連絡つかず。呼び込みのように声を掛けていた人をつかまえ5人行けるかと聞くと、汚れるし臭くてもいいかと聞かれ、マッチングを待つよりはいいと思い行くことにした。現場は山本山と呼ばれる山の中腹、緊急のゴミ収集場所のようだ。仕事の内容はペットボトル洗い。リサイクル用に汚れたペットボトルをたわしやスポンジで洗う仕事。時々来るゴミ収集車に生ゴミ可燃ゴミを積み込む。これがなかなかの重労働。悪臭に悩まされながらも、現場で知り合ったボランティアとコミュニケーションをはかる。
16時30分活動報告のために、小千谷ボラセンにもどる。活動報告を済ませ、すぐ近くの総合体育館を視察。ここにはまだ大勢の方が避難をされている。自衛隊の炊き出し車両が並ぶ。この車両が実際は戦争用かと思うと複雑な心境だ。体育館を視察の後、高速代の罹災証明を貰いに市役所へ。夕方だというのに地元の被災者の方が大勢さまざまな相談に見えていた。放光さんにもどったのが18時30分頃、すでに全曹青の2人が戻っていた。2人は川口町のボラセンに行ったらしいが、川口町ではニーズが無いと冷たくあしらわれ午後から小千谷のボラセンでニーズを貰い、半日片付け仕事をしてきたらしい。小千谷に比べ川口町の方が倒壊家屋が多いようだ。夜のニュースで川口町は長期のボランティアを必要としている事を知る。銭湯に行き夕食を取るが、どうも昼間の生ゴミの臭いが鼻につく。
11月26日、7時過ぎにまたもや余震。前日よりは小さい感じ。8時30分発川口町に向かう。途中山古志村に抜ける崩落現場を車窓から眺め、一同手を合わす。川口町のボラセンを視察。確かに冷たい雰囲気がした。今頃何しに来たの?という感じがした。10時、小千谷I..Cより帰路につく。
関越で東京、東京I..Cから東名にて16時富士I..C。 総括 今回新潟に行った事で色んな勉強になりました。実際現地に入って現場を見る事により、報道等では見れない部分をたくさん見れた気がします。ボランティアの面々も若い方から年配の方、北海道から沖縄まで本当に多くの方がいらっしゃいました。特に若い方が多いのには驚きましたが、話しをしてみるとなんとなく来た学生とか、無職のフリーターとか、何か生きがいを見つけにボランティアに来ているような感じがしたのは私だけでしょうか?お役に立てれば動機は関係ないのかもしれませんが......。
一番感じたことは、縦と横の関係がもっと上手くかみ合わないかということです。国、市役所、ボランティア協会。ボラセンで待たされるボランティアや山のように積まれた救援物資。縦と横の関係がもっと構築されていれば、かなりの無駄が省ける気がした。それぞれの現場で誰が責任者で誰が指揮しているのか?多数のボランティアや山のような物資を効率良く手配するのは難しいのかもしれないが、縦と横の関係がもっと構築されていれば、今の情報社会からすればもっと効率良く色んな支援が出来るのではないかと思いました。
思いつくまま書きましたので失礼が有ったらお許し下さい。以上報告させて頂きます。
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