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>活動予定・報告 >平成22年度の活動 >ボランティア研修会(12月3日)
◎演題 | 「聞こえないことについて」 |
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◎講師 | 静岡県聴覚障害者協会 事務局長 山本與四郎先生 |
◎日時 | 12月3日午前10時~ |
◎場所 | 静岡県総合福祉会館(静岡市葵区駿府町) |
趣旨・内容
「聞こえないということ」と題しまして、聴覚障害や手話についての基礎知識を学ぶ講習会を開催させていただきました。
静岡県聴覚障害者教会事務局長山本與四郎先生のお話は、私達の障害者に対する心の壁をユーモアを含めていねいにお話下さいました。手話通訳士のお二方、飯島本子様、阿部薫様の同時通訳なしでは、何もできない私達健常者の無力さに心を痛感させらました。
最後に前田智子先生(事務局次長)より、私達健常者の方から、障害者に対して傾聴しコンクリートの壁を壊していく努力が必要であると言われ、今後も社会人として一青年僧として出来る事は私達から、変わらなければならないという事を考えさせられる良き一日でした。(ボランティア委員長 吉岡博瑞)
【会員のコメント】
言葉が話せなかったり、耳が聞こえない、というのが、どのくらい不便かということは、なんとなく想像出来るが、驚いたのは、聾唖者の受けてきた教育のお粗末さだ。
聾唖者は「口話法」という教育を受けているそうだ。「口話法」とは、健常者の口の動きを見て、何と言ったのか理解し、又、健常者の話している口の形をまねたり、健常者の喉をさわって声を出す訓練をするのだそうだ。そして、学校では、手話は禁止しているという。
驚いた。ふつうなら、漢字や計算を勉強するべき時間をさいて、出ない声を無理矢理出す訓練をしているというのだ。その教育を受けてきた彼の声は小さく、大きな口で話してみせてもなかなか理解してもらえなかった。口話法は手話の若干の補助にはなるが、あまり意味がないのではないのか?
出来ないことを無理にやらせるよりも、出来る能力を最大限に発揮する教育、つまり、無理にしゃべらせるのではなく、筆記能力を高めるなどした方が聾者のためになるような気がする。
又、最後にボランティアの人が、「聾唖者に言葉をしゃべらせるよりも、健常者全員が手話を使えるようにした方がよっぽど手っ取り早い」と言っていたが、その通りだと思った。
たとえば、一般の小学生を、聾学校に連れて行ったり、また聾学校の小学生を一般の小学校に連れて行ったりと、交流をしていけば、小学生たちに自然に手話が身に付いてくると思う。
聾唖者についてよく知ることを目的として参加したが、これは人権学習にもなるとても良い講演だったと思います。(西部 C.H.)
今回静岡県聴覚障害者協会より聴覚障害と手話の基礎知識について講演していただいたが、簡単な手話を実技も交えて教えていただくなど大変充実した講演会でした。
聴覚障害者の一番のコミュニケーション方法である手話が世間に普及していないため、生活していく上での不便さが生じているという話を聞き、今まで手話に触れようとすらしなかった自分を恥ずかしく感じた。
講演の最後に「聴覚障害者だけが社会に対し努力しなければならない。お互いが歩み寄らなければならないのではないでしょうか。」と話しておられた。これは非常に大切なことであると同時に、まだまだ我々の努力が足りていないことを実感しました。(中部 B.M.)