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仏壇の前に座ってみましょう

 皆様も菩提寺※1へお墓参りに行かれると思いますが、普段、ご自宅の仏壇にお参りされているでしょうか?
 御年配の方は毎日仏壇にお参りされる人が多いでしょうが、若い人は年数回の墓参だけという人がほとんどでしょう。

 道元禅師さまは「人身得ること難し、仏法値うこと稀れなり※2」 とおっしゃいました。
 その受けがたい人間の体を授けて下さったご先祖様に対して、毎朝感謝の言葉をあげるのは当たり前のことです。
 悪いことをするな、良いことをしろということは易いことですが、実行は難しいものです。同様に、毎朝、仏壇にお参りすることは何でもないことですが、実行することはなかなか難しいと思います。

 しかし、仏壇の前に姿勢を正して坐り、真っ直ぐ線香を立てて、心静かに落ち着かせ、真っ直ぐな心で一日一日を過ごしていくことが、先祖を敬うことに繋がるのではないでしょうか。


※1 菩提寺(ぼだいじ)
先祖代々の葬式や法事をいとなみ、位牌(いはい)をまつってある寺。
※2 「人身得ること難し、仏法値うこと稀れなり」
人間として生を受けることは難しい。仏の教えにめぐりあうことはまれである。
めぐまれた生命を自覚しましょう、ということ。以下の説話を参照してください。

 お釈迦さまと、お弟子の阿難(あなん)さまが、ガンジス川のほとりを歩いておられました。
 その時、お釈迦さまが、ガンジス川の砂をひとにぎり手のひらにのせ、

 「阿難よ、この手のひらの砂と、この河原の砂とでは、どちらが多いか?」
と、おたずねになりました。

 「河原の砂が多いです」
と、阿難はこたえました。

 「その通りだね、阿難。よく聞きなさい、この世界には、この河原の砂と同じように、かぞえきれないほどの生き物がいるんだよ。だけど、その中で、人間はこの手のひらにのっているくらいしかいない。それほどに、人間として生まれることはむずかしいことなんだよ。」

 次に、お釈迦さまは、その手のひらの砂から、一本の指の爪の上に砂をのせられ、

 「阿難、これをみてごらん。同じ人間に生まれることができても、仏法に巡り会うことが出来る人は、ちょうどこの爪の上にのっているほどにまれなことなんだよ。」

 この説話では、人間に生まれてくるありがたさ、仏法に出会う難しさを説いています。

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