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>マイ・フェイバリット禅語
平成21年1月より、会員から寄せられた禅語を掲載しています。
霧という環境の中で過ごせば、気づかないうちに衣が濡れるように、今いる環境に自分もまた衣が濡れるようにその影響を受けるという意味です。
修行中、その意味を考えて悩んだことがありましたが、この言葉を聞いた際に、「どのような道もその道を歩いて行く中で衣が濡れていくように少しずつ体得されるのではないのだろうか。」と思い、『只管』ひたすら行うことに思いが至ったことがあります。
様々なことには、意味を問うことよりもひたすら行ずることによって見えるものがある。そんなことを思い、日々の精進をしていきたいと思います。
西部I.I.
身なりを整えて真っ直ぐ座り、息を整える。日頃なかなかやらない事ですが、この言葉でピシッとなります。
私事ですが、修行中ほとんど坐禅をする時間がありませんでした。
この言葉を夏の緑陰禅の集いや冬の摂心での坐禅中、または日々の生活を送る中で思い出します。
中部Y.A.
これは總持寺で修行中お世話になった御老師から聞いた話です。明治時代、總持寺が能登半島から今ある横浜の鶴見へと移転した際、それに反対した人も多く、当時の禅師様の身に何かあってはいけないと護衛の人がついたそうです。
共にいるうちに禅師様を慕う様になたその人、当時の日本人としては大柄で力も強かったそうですが、頭にくるとすぐ喧嘩をしてしまう人柄だったらしく、禅師様はそのことをお気にされていたそうです。あるとき、護衛の人は禅師様を慕うあまり身につけておられた数珠を戴けないかと聞いたことがあったそうで、禅師様は数珠の代わりにその人の「堪忍袋」を要求されました。
その日から、護衛の人は頭にくるようなことがあっても戴いた数珠を握りしめぐっとこらえたそうです。
その方は自分が死んでも禅師様をお守りしたいと当時の禅師様のお住まいの建物の近くにお墓を建てたのですが、その墓石に刻んでいただいた言葉が「天下無敵」、本当の天下無敵とは、誰も適わないほど強いことではなく、自分の心に的を作らないその心境だということです。
時として拳を振り上げたくなるようなことはあるかもしれませんが、堪忍袋を堅く締めて、この護衛の方の様に天下無敵の心でいたいものです。
中部K.O.
執着や固定観念に囚われない柔軟な心を持つ。
何物にも凝り固まらない。
常識や他人の価値観に踊らされず、押し付けず、流されず、雲のように柳の様な柔軟な心を持ちましょう。
中部K.O.
相手を敬えば和になれる。相手の個性もそのまま認めることにより、居心地のよい清々しい関係が生まれる。
誰にでも大なり小なり人の好き嫌いはあると思います。自分とは反りが合わないからと避けるのではなく、一つ見方を変えることによりその人の印象が変わってくることもあります。悪いところばかりでなく良いところを探すことにより、新たな一面を見つけることが出来るかもしれません。
新たな繋がりを築くためにも、常日頃より心掛けたい言葉です。
東部T.M.
皆さんも経験があると思いますが、ホテルや旅館などで海外から来た観光客にニッコリ笑顔で挨拶された時、照れくさいながらも気分が良くなったことありませんか。知らない方に笑顔で挨拶されるのは少し抵抗がありますが、でも、されて不機嫌にはなりません。逆にこちらの顔がほころんでいく。笑顔にはそんな力があるんですね。
微笑と書いて禅語では「みしょう」と読みます。
無理のない、あるいは卑屈でない、自然なほほえみができる人でありたいですね。
東部K.K.
昨年の十一月一日・二日に、晋山結制式(住職就任式)を挙行致しました。一日目は大雨、二日目はお寺の上空だけがポッカリ雲に穴が開く奇跡的な晴天に恵まれました。
その二日間を通して感じたことは、雨が降った降らないととらわれるのではなく、自分の心がけ次第で変わるということ。住職になる決意の場に天候などは関係ない。
「歩歩是道場」心がけ次第でどんな場所も高める道場になる。
外は雨でも自分の心に雨を降らすな!と自分を戒める出来事になりました。
東部R.S.
法という教えに触れることを喜びとし、禅という修行に謹むことを悦びとすることを指していう。
私が修行をしていた頃、はじめのうちは様々な進退作法の指導を受け、それができないと先輩の和尚さんに怒られるというそんな毎日を過ごしておりました。修行を〔やらされている〕という感覚になっていました。
そんな時、この〔法喜禅悦〕という言葉を一人の老師に教えていただきました。
「常に感謝の気持ちを持てば、どんなに辛くて大変なことも、今ここでしか経験できないことであり、修行生活の全てがありがたく思えて喜んで行えるようになる」と言うのです。
それからというもの、少しずつではありますが「やらされている」よりは「させていただく」という思いが強くなっていき、感謝の気持ちを持つことで、とても充実した修行生活を送ることができました。
修行を終え、戻ってきたこれから先も、すべてのことに対して常に感謝のこころを持ち、喜んで様々なことに取り組んでいきたいです。
西部K.H.
「自然法爾」とは、存在のあるがままの状態で真理の法則に叶うこと、という意味である。
天然のままの状態。人材の力を加えない、物事のそのままの状態と解釈される。
「自然法爾」とは「あるがまま」と訳せ、「手を加えないこと」と訳せそうである。
日本の自然は、気候は温暖であり、山、川、海、温泉、四季折々の自然に恵まれ、自然の宝庫である。
しかし、残念ながら日本は外国に比べても自然災害が発生しやすい国土である。これは日本の景観が素晴らしいことと無関係ではないと思う。
温泉があるということは火山があるということでもあり、海や山に恵まれているからこそ台風や土砂災害も発生する。
最近では、御嶽山の火山噴火、広島の台風による土砂災害で尊い命が失われ、悲しみにくれた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私たちは、自然のもたらす様々な災害や異変、自然災害というリスクを抱えて生活している。そのリスクと共存し、決して自然に立ち向かうことなく、今あるがままの自然の営みに感謝し、謙虚に日々を暮していきたいと感じる今日このごろである。
中部S.K.
辞書によると、「随処に主と作れば立つ処皆真なり」。どの道を生きようとも、常に自分の本心を忘れず主体的に生きるならば、そのよって立つ所はすべて真実の道に通じる、という臨済宗の始祖・臨済義玄の言葉。随は、したがう。なるにまかせるの意。
随処は随所で、与えられた所、自分が選んだ道にしたがう、適応して積極的に生きるということ。
とありますが、この言葉は、親の転勤により生まれ故郷を遠く離れて暮らすことになった、私達一家に先代である祖父より送られた言葉です。
当時は特に深く意味を考えませんでしたが、今では、「環境の変化を言い訳にせず、常に自分自身が自分の人生の主人公となり目の前の事に取り組みなさい。また、その気持ちが有れば、どんな場所、どんな状況でも充実した人生を歩める。」
と、余り多くは語らなかった先代の貴重な教えとして、記憶に残っています。
中部T.M.
道元禅師が仰られた説法のうち、私の好きな部分であり、自らの戒めとして大事にしたいと思っている一節です。
我々の日常は、常に人と人とが関わりを持つことによって成り立っています。現代日本においてこれは当たり前のことであると同時に、決して逃れることのできない社会の掟でもあります。ですが、人が各々の考えを持つ生き物である以上、皆がいつも同じ意見ということはありえません。議論や言い合いの場でお互いの意見がぶつかることもあります。そのとき、自分が正しい、あるいは道理に則った意見であると思うと、それを盾にして反する意見を強引に押し込めたり、相手を徹底的に攻撃し、言い負かしてしまうことが度々あります。道元禅師はそれはいけないことだと仰られました。
なぜなら、それは言葉によって相手の意見だけでなく、人格までも傷つけてしまうことになるからです。これは自分をよりよく見せたいという願望の現れでもあり、誰しもが持っている欲求でしょう。ですが、それで相手を傷つけるのは仏教の『慈しみの心』から外れた行いとなってしまいます。
とはいえ、自分に理があるにも関わらず、意見を押し込めて主張しないのも良くないことだと、禅師は続けて言われています。私はこの言葉を聞いた時、どきっとしました。自らが正しいから、周りもそうだからと、何かと理由をつけて意見に優劣を付けていたことに心当たりがあったからです。同じ経験をされた方は、他にもきっといるでしょう。
自分の考えは自分だけのものです。それは大切にするべきことです。ですが、相手の気持ちや考えを蔑ろにしてはいけません。自分の考えは曲げることなく、相手やその意見を思いやり理解できるように努力する。そんな人物になれるよう、私も精進する毎日です。
中部T.M.
一般の人がこの言葉を連想するイメージは、自己中心的な人だったり、我が道をゆく人、みたいな感じだと思います。かく言う私もそう思っていました。しかしながら、本来の意味は違いました。
お釈迦様が生まれた直後「天上天下唯我独尊」と発せられ、その意味を辞書で調べてみると〔全世界で私が一番尊い〕となるそうです。ここで誤解が生じたのです。つまり自分が一番大切であるから、自己中心的だとか傍若無人だとかと、とらえられてしまったのです。そうではなく、〔この世に自分という存在はたった一人しかいない、だからこそ命は大切なんだよ〕と、とらえてほしいのです。今の時代、いじめ等で若いうちから命を落とす人が少なくありませんが、そんな人たちにこそ〔唯我独尊〕この言葉を贈り、自分という存在を大切にしていただきたいと思います。
西部Z.K.
今から九百年ほど前の、東坡禅喜集という詩集から一句。最後の言葉、真面目(しんめんもく)とは、真のあり方という意味です。ふと見上げた柳は緑色で、花は紅色をしている。それが真の姿である。今の時期、外に出てみれば草や木々の葉も緑色です。花だって赤く咲いているものは赤色に映るでしょう。真の姿も何も、当たり前のことじゃないか、と思うかもしれません。しかし、その日常のありふれた中にこそ、命の真実のあり方が見えている、という歌です。
柳は、自分の柳としての命を精一杯使って、深い緑をその体に宿している。咲き誇る花は、花としての命を精一杯出し切って、透き通るように鮮やかな紅をたたえている。その、精一杯の命の姿こそ、真面目(しんめんもく)、命の真の姿なのだと歌い上げたものです。石だらけの荒れ地に落ちたタンポポの種は、自分は運が悪いといって、ふさぎ込んで枯れてしまうでしょうか?いいえ、この命が尽きるそのときまで、精一杯根を張り、葉を伸ばすでしょう。私たちも同じ命であるならば、命尽きるそのときまで、精一杯生きるのが、命本来のあり方なのです。雄大な自然を見ながら、この歌を思い出すとき、私はいつも勇気をもらいます。私も同じ命として、精一杯生きねばと、気持ちを新たにします。
今日これから外に出たら、自然の命の姿を見てください。繁った木々の深い緑の中に、精一杯の命が輝いているのが見えるでしょう。
私たちも待ったなしの今を、精一杯生きる。そこに命の輝きが、充実した人生が見えてくるのです。
(東部 H.I.)
禅寺の上がり框には、「照顧脚下」と書かれた木札がよく置いてあります。
この意味は足もとに注意しなさい、転じて履き物をきちんとそろえなさいということでもあります。何事にも自分の足もとから正していかなければいけないと教えているわけです。
幼い頃、母から「履き物をきちんとそろえなさい」とよく言われました。ここにこんな深い意味があるとは思いもしませんでした。また父親からは反省することの大切さを教わりました。同じ失敗をくり返す事のないよう失敗したことをメモに残すのです。
中国の思想家孔子は、「吾曰に三たび吾が身を省みる」といわれていましたが、自己反省をすればするほど、自分の弱さやいやらしさに気づくものです。道元禅師も仰っています。「仏道は人々の脚跟下なり」と。
今、自分が為すことの一つひとつを眛まさず大切に取り組むことによって心の光明が現れてくるものだと思います。自己をしっかり見つめ反省をくり返すことが大切です。
中部(T.S.)
近隣の方丈さんが、法要前の控室より裏山の風に揺れる竹林を見て「このザァーっというのは仏様が説法をしているって道元禅師がおっしゃっているね」とお話しされたのを覚えている。
これは〔渓声即是広長舌 山色無非清浄身〕と続く宋の時代の詩人の悟りのお言葉からで、「谷川の水の流れは無情の説法を語っており、山や目に映る自然界は、悟った状態の清らかな身体のようなもの」という意味だろうか。またこのような無情説法は、聞きたいと思っても聞けるものではなく、こちらが正しい修行を行っている時こそ感じられるそうだ。
似た話で、山登りの番組を観ていたとき無口な登山家が「なんでずーっと静かなんですか?」と尋ねられ、「山の中ではね、お話しすると全部へリクツ(屁理屈)になってしまうんです。静かにしていると山の方から話しかけられてるような感じになるんですよ。」と答えられて、すぐに渓声山色の無情説法を思い出した。この新緑・新芽の五月、「我」を抑えて自然界のささやきを感じたい。
西部(Y.K.)
最近、週に2、3度、日の出30分前に家を出て、海岸の堤防をゆっくりジョギングしています。
朝早いのには理由があります。それは朝日に赤く染まっていく空と、それと共に海がキラキラ輝きだす光景を見ていると、風を切って走っている自分が、自然と一体になっていくような感覚になるからです。
「回光返照の退歩を学ぶべし。自然に身心脱落して、本来の面目現前せん。」これは、道元禅師がお書きになった普勧坐禅儀の一節です。
ああ全く、何で俺だけこんな目に…。人間誰しも、こんな風に思う時があるはずです。
日々忙しく過ぎて行き、気づけばもう春。季節の花を愛でる余裕もありません。忙しいという字は、心がなくなると書きます。心に余裕が無いと美しい物も目に入りません。
先日、ソチ冬季五輪フィギュアスケートの羽生結弦選手は、震災直後スケートを辞めようと思ったと語っておりました。しかし、彼を支える多くの方の尽力に応えるべく練習を再開し、見事日本男子初の金メダルに輝いたのです。この快挙が、被災地始め日本全国に力を与えてくれたのは言うまでもありません。
寒い冬を乗り越えた梅は、この時期芳しい香りを発し、一足早い春の訪れを告げます。
「人生辛いことが多いけれど、その先にきっと良いことが待ってるよ」と語りかけているようです。
(中部S.N.)
日々、日送りをしておりますと看過することのできない さまざまな出来事が
日常を取り巻いております。テレビをつけても悲嘆に暮れたり狂態と感じてしまう
ようなことばかりです。
私たちは母親の体内から生れ落ちる時には何も着ず、ありのままで生まれてき
ます。しかし、年を重ねるうちに1枚 2枚と着物を重ねて着るように、人は理
非曲直を学びながら成長します。
冒頭に書かれている「自浄其意」という言葉は 七仏通戒偈の一句で、
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」とあります。
悪い事はせず 善い事をし、いつも清らかな心でいる事が大切であるという意味と
当たり前ながら実践することは難しいことであるという二つの意味が込められてい
ます。
今月は二月、節分の月であります。家に福が増しますように、私たちの心の
中にも清らかな心を持ち続けたいものです。
(西部K.H.)
「三人同行すれば、必ず一智有り」
直訳すれば「三人一緒に行脚すればその中に必ず一人は智慧のある者がいる」つまり、身近な親族、旧友、同僚、最近出逢ったばかりの人、さらには生まれて間もない子供さえも人生の師となり得るという教訓です。
とある雨の日、得てして大人は「ああ、雨だ。濡れてしまうな」などと気持ちが沈みがちですが、子供は水溜りを見つけてはバシャッと足を突っ込み、落ちてくる雨粒に手を伸ばし覚えたての言葉を叫んでは満面の笑顔で大はしゃぎ。そこに憂いは無く、純粋に「その時」を全身で楽しんでいる。固定観念もなければ、分別も無い。晴れの日もあれば雨の日もある。気持ちの持ちようで、こうも変わるものかと、教わります。
あるいは、誰かの行動や、何気なく口にする言葉に自分一人では思いもよらない刺激を得て、大小に関わらず人生を変えられることもあります。自分の考えはこうであると決めるのではなく、人の話にも耳を向け、その結果、自分自身の成長に繋がる、これこそまさに「三人同行 必有一智」の成す力ではないでしょうか。
色々な事に興味を持ち、視野・可能性を広げる。様々な経験が、人を成長させる。私は周りの人たちに今でも育てられていると日々感じております。今後も学ぶ姿勢を大切にしていきたいと思います。
(東部G.I.)
恩に報い徳に 謝す。 恩に感謝し報いること。 その徳に感謝して受けた恩に対して自分のできる限りの ことをしようという気持ち。
先日、楽天球団の仙台での優勝パレードをテレビ中継で見た。田中投手が乗ったオープンカーから「ありがとう」という大きな声が沿道に響き渡っていた。
「ありがとう」とはなにげないお礼の言葉である。しかし、その語源は原始経典「法句経」にある「有り難し」という仏教語からである。地球上の数多くの生命体の中で、人として生まれることは難しいのに、人として生まれることが有りうることを「有り難し」というのだ。
田中投手の頑張りはもちろん、監督、選手、多くのファンに支えられることで、楽天は優勝という結果をだせたのだ。さらに思いを巡らせると、毎日使用しているグローブ、球にも、田中投手は感謝を込めて「ありがとう」を言っていたような気がする。
「ありがとう」の一言は、あらゆるものに感謝した言葉です。私達は、毎日、感謝した生活を送っていきたいものです。
(中部S.K.)
先日、私が安居していた修行道場へ御征忌法要の手伝いに行って参りました。
今年は、例年になく雨が降り続いた御征忌で、変わりやすい能登の天気を少し疎ましく感じてました。
毎日、多くの参拝者が訪れ御征忌法要も最終日を迎えましたが、天気は相変らずの雨降り。非常に残念に感じました。
対真上堂では雲水による問者が始まり「雨にはじまり、雨に終わった御征忌、如何でしょうか?」という雲水の質問に老師は「雨によって清められてとても良かったよ。ありがとう、ありがとう。」とにこやかにおっしゃられました。
禅語に、『日々是好日』がございます。毎日毎日が最良の日である。雨の日も風の日も、辛い日も悲しい日も、それを良き日と受け止めて生きていく事という意味です。老師のお言葉こそが『日々是好日』ではないかと気付くことが出来、大変感動の多い御征忌でした。
帰りの日も悪天候で飛行機が飛ばず、一日中、能登で足止めとなってしまいましたが、これも『日々是好日』。
(西部 S.M)
先日、スリランカへ旅行した際、宿泊はホテルではなく、知り合いのスリランカ人の家で過ごしました。
朝五時半。寝ている部屋の窓越しから鳥の声がするので、そろそろ起きようかと体を起こし、身支度をしていると、近くのお寺から読経が聞こえてきました。気になって玄関を出ると同時に、家のご主人がミルクティーを作って私に手渡してくれました。鳥のさえずりと読経が流れる中、我々二人はベンチに腰を下ろし、木々に囲まれた庭を眺めながら、暫くゆっくりしていました。
その後、家に入り、家族の皆さんは何をしているのかと言うと、テレビをつけ、お坊さんが説法している番組を観ながら、ミルクティーを飲んでいました。私もそれにならい、穏やかに話すお坊さんのお話に耳を傾けていました。
一日の始まりが、読経と説法。日本ではあまり見られない光景ですが、穏やかに仏光に照らされるようなその一日の始まりが、とても尊く印象的でした。
且緩緩。まぁ、ゆっくり、ゆっくり。あせらず、あわてないで、落ち着いて。
とかく忙しい現代社会。スピードを求められ、ただがむしゃらに動くことが良い事とされているような気がします。
このホームページ『緩歩』は、「緩」い、「歩」と書きます。一歩一歩を大事に、しっかり確かめながら、丁寧に、大切に、生きなさい。そんな思いがこの言葉に込められているのかなぁと、忙しいお盆を終え、まだまだ続く残暑の中、一人考えていました。
(東部K.K.)
山で生活を営む僧侶にはちいさな茶畑、海で魚を獲る海漁師には1本の釣り竿があれば、暮らしていける。
本当に必要なものはわずかであり、そのわずかさえあれば人は人として心豊かに生きていける。
これは私が永平寺で修行僧をしていたころ、当時の後堂老師から教わった言葉です。
私は修行も二年目に入り、永平寺も一年目より過ごし易い場所なっていましたが、ああしたい、こうしたいという気持ちは強くなっていました。
一年目より余裕も増えたせいでそれまで感じていなかった自分の欲が出てきていたせいなのですが、私自身それをあまり自覚していなかったのです。
そんな時、お茶の席で教わったのがこの言葉でした。
人の欲望には際限がない……それは私たちも同じである。このような世間から隔絶された世界にいる私たちですら、それを感じている。
何かを求めることは人として仕方のないこと。だが、際限を超えて多くを求めすぎてはいけない。
本当に必要なものというのはごくごく僅か。しかも形あるものばかりではなく、寧ろそうでないことの方が多い。だから、その僅かなものを大切に受け止めなさい。
あれもこれもと欲張れば、いつまで経っても落ち着かず、心も豊かにはならない。
今自分自身にあるもの、そして自分の周りにあるものをよく噛み締めて、一日一日を大切に生きなさい。
そうすれば自分にとって当たり前だったものが、本当にかけがえの無いものとして捉えられるようになるだろう。
老師はこのように教えて下さいました。
(中部T.M.)
『喫茶去』という言葉があります。中国唐時代の趙州和尚と言う禅僧の言葉で、「お茶を飲んで、去れ」と言う戒めの教訓を含んだ言葉でもありますが、「お茶を一杯どうぞ」という風に捉えることもできます。お寺には、いろいろな方がいらっしゃいます。何年か前にお寺へお客さまがいらっしゃった時の出来事を、母から聞いた時私の頭に浮かんだのが、この言葉でございます。
私が現在副住職を勤めているお寺は、自然豊かな山間の村にあります。その方達は、郷土史の研究で、市街地から遠い私共の田舎の方まで探訪に来ていたのだそうです。当時私は学生で寺におらず、住職である父も留守にしておりましたので、母が応接致しました。
母は本堂を開け、夏の暑い日でしたので冷えた麦茶とお饅頭をお出ししました。すると、「突然訪ねて来た見ず知らずの若者にこんなに美味しいお茶と饅頭をお出しして頂けるなんて」といたく感動した様子でお召し上がりになったそうです。その方達はそれが切っ掛けで母とも仲良くなり、今でも度々お寺に顔を出してくださいます。
物質的に豊かになる反面、心は貧しくなっていっていると言われて久しい現代の、殺伐とした社会の中で私達は生きています。そのような世の中であっても、お茶を一杯どうぞ召し上がって下さいと差し出す心のゆとりを持つ。簡単な様で、難しい事かも知れません。ですが、例えどんな人が相手でも、そっと一杯のお茶を差し出す。そうする事が相手にとっても、また自分にとってもホッとする心豊かな時間を運んでくれるのではないでしょうか。
母が何気なく出した一杯のお茶。これこそ『喫茶去』なのではないか、と私は感じているのです。皆様がゆとりある心豊かな日々をお過ごし下さいます様お祈り申し上げます。
(中部E.S.)
曹洞宗開祖道元禅師様が福井県永平寺より鎌倉へ布教のため下向され、その半年後に帰山された時のお言葉です。外に出て初めて自分が今まで当たり前のように暮らしていた場所の有難味がわかるといった意味です。
私事ですが、アメリカのお寺へ三年程留学をさせていただきました。留学先で東日本大震災を知りました。食欲がなくなり、胸を締めつけられるような日々が何日も続きました。
この時「自分は日本人で、故郷を愛しているんだ。」ということに改めて気が付かされたのです。外に出て初めて自分にとって日本がどういうものであるのかわかったのでした。
でも、外に出なくても気が付こうとする心があれば大切なものに気が付くことができます。自分自身のこと、今自分の周りにいる当たり前の人、もの。それらはあなたの人生にとってかけがえのない大切なものなのです。
今日ぐらいは声に出してお礼を言ってみませんか。
「ありがとう」
合掌
(西部Y.Y.)
物事に失敗すると…クヨクヨする。いじける。自信が無い。「あんなこと言わなければよかった」などと。三十代の半ばになってもマイナス思考から脱皮できない。 この言葉との出会いは、正法眼蔵の講義のときだった。渓声山色の巻だっただろうか。画餅の巻きか。弓が的に当たるということは、それまでの百回以上にも及ぶ的はずれがあってこその意味である。 悟りの境地に至れない、もがいて修行している間も、それも悟るための大事な手段になっているという。
この言葉を聴いたとき、自分にちょうどあてはまった。良い言葉だと思った。悟りを目指すというと語弊があるが、僧侶として立派になる。それ以上に一人前の人間・大人になるという目標がある。しかし中々そう上手くはいかない。つまずき・失敗あたりまえ。そんな方がもしいらっしゃればこの言葉を思い出して、先を長くみてプラス思考になっていただきたい。
(西部K.Y.)
先月、本山の授戒会に行って参りました。本山の修行を終えた後もご縁をいただき、10年あまり二期の法要(春の授戒会と秋の御征忌)の隨喜を続けてまいりましたが、生活環境の変化もあって暇をいただくことにしました。本山へ足を運び短い期間でも暁天坐禅から朝昼晩のお勤め夜坐と修行生活をすることで、安居時分のことを思い続けることが出来ました。しばらく本山と離れるにしても安居時分のことを大事にしたいと思います。
今回の言葉は、よく選挙シーズンになると「常在戦場」という言葉を使う候補者がいて、思いついた言葉です。僧侶なので戦場ではなく常に修行道場に居る心もちで事にあたりたいと思います。(西部S)
大学の講義「宗教科教育」で、講師の先生がよく「挨拶は仏教語だから」と言われました。字義で押すこと受けることから、いわゆる「あいさつ」になったそうです。本来は師僧が弟子に話しかけ、どう応ずるかを見て、師僧は弟子がどういう胸中にあるか、修行がどういたっているかみたそうです。学校でも先生は生徒と「あいさつ」して、互いの関係を深めるようにしなさいと習いました。
ここ2年間、広報委員や新入会員に自己の体験にもとづいて禅語を紹介して下さいと呼びかけ提出された禅語と体験をここで公開してきました。会員の皆様にお願いします。いつまでも坊ちゃん気分でなく住職、副住職ともなれば挨拶をちゃんとしていただきたいと思います。(前広報委員長S)
禅語としては一番始めに覚えた言葉。
靴を脱いだらそのままにせずに揃えて脱ぐ。簡単なようで忘れがちなこと。私自身も安居中に「スリッパを脱いだらちゃんと揃える。脱ぎっぱなしにしないこと。単純で簡単な事だけど中々忘れやすいので気をつけなさい。自分以外の履物も散らかっていたら揃える。」と古参和尚さんに教えられた。
簡単だからこそ履物を揃えるのは次なる行動のためにでもあると思います。
(東部H.S.)
私は安居中に上の方から注意を受けた時など、正直愚痴などを言いたくなったりする時がありました。
しかし玄関の額などで「照顧却下」の文字を見かけ、自分の足下を顧みる「我が身」や「我が心」を振り返り、自分が今どうゆう立場にいるのか、よく見極めていかなければならないと思いました。
他人の批判はできても、自分の批判はなかなかできません。他人のことを論ずるより、まず自分を見つめなくてはいけません。
自己を見つめ、自己を究明し、自己を見失わないよう「心にゆとり」を持っていきたいです。
(西部Y.M.)
常に何事においても自分がやらなければという自分の意志をしっかり持って、今という瞬間を大事にしていかなければということでこの禅語を選びました。
私は寺の長男として生まれ、小さい頃から手伝いを少しずつしてきました。しかし、それはあくまでもさせられているというものでした。大学進学の際、面接の為に道元禅師のことを調べなくてはいけなくなり、道元禅師の生涯やお言葉を読んでいるとき、道元全辞意が中国に渡った際に出会った典座に言われたこの言葉に出会いました。今までは寺の息子としてただ手伝いをすればいい、跡を継げばいいとしか思っていなかった自分にとって、人のことではなく、自分のこととして何事も行う、そして後回しにするのではなく今なんだと言うことを気付かせてくれる言葉でした。今でもこの言葉の通りには出来ていませんが、常にその気持ちを忘れずに自分の道を生きていきたいと思います。(西部S.I.)
私は幼い頃に父を亡くし、本山での修業中に、父が亡くなってから師寮寺と家族を支えてくれた師匠である祖父も他界してしまいました。
そんな私はこれまで本当にたくさんの方々から助けられて生きてまいりましたが、本山に修行に行くまではそのようなことについて深く考える事もありませんでした。ですが、そんな私の考えを一変させるような出来事がありました。
私は上山後すぐに足の怪我により入院をしてしまったのですが、入院中の私の頭の中には「幼くして父を失い、師匠も他界し、上山しても大怪我をし、苦労をする不幸な人生だ。」という思いがありました。
怪我は想像以上にひどく入院は一ヶ月ほどになりましたが、その入院中に1つの出会いがありました。とある御寺院様がお見舞いに来てくださったのですが、その方の言葉が私の思いを一変させてくれたのです。入院中、落ち込んでいた私にその方は「それにしても君は本当に恵まれているね。」と言ったのです。
すぐにはその言葉を理解する事は出来ませんでしたし、その方の真意も分かりませんでしたが、その言葉を聞いた私は「自分は全て与えられて、皆に生かされているんだ。」と感じたのです。
その方と、その言葉との出会いが、今までの一つ一つの出会いを感謝の思いに変えて下さいました。
この春本山での修行から戻ったばかりの未熟な私には、恩返しになるような事がまだ何もできておりません。
これからは皆様から頂いた、返しても返しきれぬ恩に少しでも報いることができるよう、全ての出会いに感謝し、この道を歩んでまいります。(西部D.M.)
この言葉を文字通り解釈すれば、「毎日が平穏で無事の日である」と言う意味になる。しかし、当然のように楽しく充実した日々が続くということはない、悲しい日やつらい日も当然のようにやって来るものです。
しかし、どんなに最悪の日であれ、その日はもう二度とこないかけがえの日であると考えるならば、その一日を全身全霊で生きることができれば、その一日が次の一日の糧となり、自分自身の良い経験となるでしょう。
私は、昨年まで横浜市鶴見区にある総持寺というお寺で修行させていただいていました。
「修行生活」それは、私が最初想像していたものとは全く異なりました。
最初の時間は、朝起床し、座禅、朝のお勤め、作務(朝のお掃除)と続き夜9時に就寝するまで、毎日、同じ日々の繰り返しでした。自由な時間はもちろん、プライベートすらありません。
「立派なお坊さんになる」という目標をもって修行を始めたのにと、私は不満に思うこともありました、そのような気持ちが災いしてか、季節の移り変わりによる急な冷え込みのためかわかりませんが、私は風邪をひいてしまいました。
丸一日寝込み、私は自分の修行生活を振り返ってみました。すると、私は多くの仲間がいて、充実した日々を過ごしていたということに気付きました。
好日は待つものではなく、自らの生き方に日々、好日を見出しえなければならない。私はこのポジティブな言葉が好きです。(西部K.I.)
足るを知る。豊かな世の中になり、大抵の物は手に入るようになりました。しかし、望んだ物全てが得られるわけではなく、それが苦しみに繋がります。
安居中、典座寮(料理を作る寮舍)にいる時、「お腹いっぱいに食べたい」というようなことを典座老師にお話ししたら「動物であれ植物であれ、命を頂いて生かしてもらっているのだから、食べられることに感謝しなければいけない」と諭されました。
「まだまだ」ではなく、「もう充分」という気持ちを大切に今あるものに感謝をしていきたいものです。
徳のある人には何ら特別なことをせずとも自然と人々が集まるということ。
桃や李(スモモ)は言葉を発することはないが、美しい花と美味しい実の魅力にひかれて人々が集まりその下に自然と道ができることを例えた言葉。
このお言葉を永平寺の「知客」と言う役職の老師に「絡子」と言う法衣に書いていただきました。
この絡子を掛ける度に驕らず謙虚な気持ちで人前に出ることを思い出させてくれます。
(中部H.Y.)
私は安居中膝をけがして、下りざるを得なくなりました。目標を達成できぬまま安居を終えることに情けなさを感じていた時に、お世話になった役寮さんからいただいたお言葉です。
真実の道(悟り)へ至るのは難しいものではない。ただ、好きだ嫌いだと揀択(こだわる)することをやめることであるという意味。
けがが原因で満足にできず、悔しさや情けなさを感じるときでも、この言葉を肝に銘じ、自分にできる最大限のことを、好きだ嫌いだとわがままを言わず、日々精進していきたいと思います。
(中部R.H.)
「隻手」とは片手のことを言います。両手で手を叩くと当然ですが音がします。では、片手ではいったいどんな音がするのでしょうか。
私がこの言葉に出会ったのは永平寺で修行している頃。永平寺で修行を始めた初年度、細かな作法がきめられ、普段の生活ならばそこまでする必要があるのかと考えさせられることが多い生活。永平寺に行く前はCGデザインという常識を破ることで新しい物を生み出す仕事をしていました。ある意味対極にあるこの二つの環境で生活してきた私は、今までの生活の違いに悩み苦悩したのです。そんな中でこの「隻手音声」という言葉に出会ったのでした。
普通に考えれば「隻手」で音をならすことに何の意味があるのだろう、となるでしょう。この公案は常識を根本から疑わせ理屈や言葉を超えた「何か」と向き合うことを考えさせられる公案です。
自分が持っている固定観念「こうあるべき」という自分の思い込みがなかなか新しいことや自分とは違う考えを認められなくなり、その裏にある本当に大事なことが覆い隠されてしまうのです。
(西部C.K.)
他力といふは如来の本願力なり。
他力とは、他人の力ではなく、お釈迦様の慈悲の働き。お釈迦様の生きとし生けるものを救わずにはおられないという強い願いの働きのことをいう。自分自身も気づかないところでどれだけ助けられてたのだろう。
(西部S.A.)
母の在所(在家)に行き佛壇でお参りしたところ、位牌の家紋が○で中が無く、てっきり剥げたのかと思い伯父に聞いたところ、それは一円相だと言われた。円相が真理とか森羅万象を表すということは知っていましたが、位牌に使う家があったとはと驚いたものです。
(西部S)
久しぶりに会った知人に痩せたと言われることがあります。実はいい歳になったので、摂取するカロリーと消費するカロリーのバランスを考えるようになりました。
(西部S)
筆で書いた「円」は、始めと終わりがあるが、円相には始めもなければ終わりもない。どの一点をおさえても、その一点が始めであると同時に終わりでもある。
この言葉は、名古屋の青山俊董師に教えていただいた言葉で、物事や、人生には終わりも初めも無く、常に新しい事を受け入れる心構え、気持ちが必要であるとのお話。
今回の大震災も復興に終わりは無く、以前から繰り返しおこってしまっている事から学んでいき、少しでも後世に役立てて行く必要があると実感しています。
(東部 D.S.)
子供のころから団体行動が苦手である。旅をするのも食事をするのも修行をするのも。 しかし個人では、あまり修行出来ない。皆で切磋琢磨して「我がまま」を無くしていきたい。
(西部 K・Y)
他に求めず、自分がなすべき事を成し求心やむ処に無事がある
(中部 K.I.)
白か黒かとこだわる日常において自分の思い通りにならなくとも白でも黒でも受け入れる寛容な心を持っていたい
(中部 D.A.)
普段の私生活において、気持ちが落ち込んだり、嫌なことがあった時、この言葉を思い出します。安居中に副監院さんに書いて頂いた絡子の裏書きです。
(中部 S.A.)
私達お坊さんの修行の場である禅寺の朝ごはんはお粥です。
天の恵みであるお米を最後の一粒までいただく。食事が了ったら食物へのそして、食事を作ってくれた人への感謝の気持ちを込めて器を洗います。
みなさん茶碗を洗っていますか?食べたら洗う。そんな当たり前のこと、なかなか難しい。当たり前のことを当たり前にできる。そんな人に私はなりたい。
(T.U.)
驀直去とはまっすぐに突きすすめということ。迷った時、臆病になった時、壁に突き当たった時は、自分を信じて、まず、やってみるということ。
私がまだ安居中、小参問答の際に当時の後堂老師よりいただいた答え、今でも大事に実践しています。
(J.Y.)
世の中は何にたとえん水鳥の嘴振る露に宿る月影(梅花流詠讃歌)
東日本大震災で改めて人の命の尊さを知りました。一日一日を大切に行きたいです。
(S.N.)
これは自分が安居中、単頭老師にいただいたお話の中に出てきます。長らく体調を崩し休んでいた時、老師が侍者の方々と浴司へ行くので一緒にどうかと誘ってくださいました。湯船に浸かりながら老師は、「自分の体だって思い通りにはならないだろ?諸法無我だよ。こんな時こそ坐りなさい。」と。このお言葉が、自分を見つめ直すきっかけとなりました。今ある結果は、それ自身が突然生まれ出たわけではないのです。
なにか問題が起きても、それだけに執着して取り除こうとしてもだめだったのですね。結果に至るまでには、本当に様々な縁が絡み合っているのです。
一見、ごく当たり前のことに感じるかもしれませんが、その重要さをあらためて教えられた一言でした。
(B.Y.)
先々月、静岡市美術館で棟方志功展を観覧しました。障子の向こうから仏様が家人を見ている絵は、作者が子供のころ聞いたお経によるものとのこと。作者の生家は曹洞宗の檀家だったのかと思いました。
(K.T.)
本年の花祭り伝道では、義援金托鉢も併せて行うことになり、これまでと違ったことを行ってうまくいくのだろうかと事前には思いましたが、当日は多額の淨財を寄せていただきました。
(K.T.)
義援托鉢の際、同じ場所で募金を呼びかける学生さん達とシンパシーから親しくなりました。
(K.T.)
修行に出る前、叔母に何事も三年励めば身につくから三年がんばれと言われた。毎年この時期になると思い出します。
(K.T.)
羽鳥の洞慶院さんに「莫妄想」と書かれた、北野元峰禅師の大きな額があります。徹しきりたいです。
(C.H.)
泣くも笑うも我次第(梅田信隆禅師)
(M.S.)
怒りや貪りの気持ちが起きる時にこの言葉を自己にいましめています。
(K.A.)
「一期一会」だからこそ、人の一語に耳を傾け、理解しましょう。
(N.N.)
相手を思い優しい言葉、時には厳しい言葉を勇気を持って掛けてあげると、やがて自分にも返ってきて、お互い信頼しあえる仲になっていくように思います。
(K.K.)
高祖御征忌(道元禅師の御命日、9月29日)を迎えるに当たり、仏弟子としての自覚をいま一度胆に銘じたい。
(S.O.)
善い行いは馬鹿マヌケの如く人知れず密かに続けてせよ、という意味。そこまで徹して行じたいものです。
(C.H.)
たとえ剣を手にし、殺意をいだいた敵の群れにかこまれたとしても、観世音を憶念すれば、そのとき即座に彼ら(敵)はあわれみ深くなる。
(H.A.)
今の日本に必要な句だと思います。
(S.A.)
いくつになっても、大事な心構えです。
(H.Y.)
常に初心を忘れない様にしたいものです。
(K.S.)
プロ野球で横浜(現西武)の工藤投手が帽子のつば裏にこの言葉を書いていた。江戸時代の禅僧、沢庵和尚が幕府の剣術指南役、柳生但馬守に送った手紙の中に書かれていた言葉で、「過去も未来も断ち切って今この瞬間を精一杯生きる」という教え。
(K.)
某有名刑事ドラマで、嫌みな上司の部屋にかかっている額の言葉が、なんで『宝鏡三昧』?
「先師古仏の歩んだ道(古轍)を歩め」というのは、刑事も「先人の捜査手法を倣え」ということでしょうか?
(K.T.)
自らを鼓舞する際によく思い浮かべる言葉です。
(T.H.)
美しく歳を重ねたいですね。
(H.T.)
毎日感謝し精一杯精進したいものです(理想は)。
(K.M.)
人生、何度ころんだだろう。
(S.Y.)
人様から頭を下げられる立場だからこそ、常に謙虚でいなければと、心掛けています。
(W.I.)
法戦式で首座が住職から竹箆を受け取る際に唱える言葉。住職の名代として法戦を行う気概を述べています。大学生だった私にとても分かり易い意味だったので。
(E.A.)
常に何に対しても誰に対しても初心を忘れず接していく事を心掛けています。
(K.S.)
岡本太郎さんの言葉。物事を先延ばしにしてたら何もできないですね。
(R.K.)
大学時代にお世話になった社長夫人からいただいた言葉
(S.I.)
本師がよく使っている言葉です。
(B.M.)
相手の身になって考える大切さを戒める言葉です
(H.Y.)
一日何もしなければ食事をしないという、自分自身を戒める意味で日々の励みになる文句です。
(K.I.)
松の緑は千年経っても変わらないということ。時代が変わっても仏性の不変性は揺るがない。自分もかくありたい。
(K.T.)
本山を下りる時、後堂老師(總持寺後堂、長谷川文丈老師)に書をお願いした所、いただいた言葉です。
老師は「君はどんな時でもニコニコしていて、君の笑顔で多くの大衆(修行僧)が救われたと思うよ」とお声をかけてくださいました。私にとって大切な思い出がこもった言葉です。
(T.H.)